実際3部作を超える大作は「果たしてこれは商業主義に基づいた駄作なのでは?」という疑問を抱えたくなるのですが、そこは一度押さえてとりあえず見てみようというのがいつもの成り行きなのです
実際
話ムズいし展開速すぎ感は否めない
そして今なぜロシアで核兵器なのか?という疑問
は映画を観終わった後にもついてきます・・・
「まるでキューバ危機のようだ」という長官の発言通り、冷戦時代に起こっていそうな核兵器をめぐるトラブルが、皮肉にも中立国のスウェーデンの過激派によって引き起こされるというストーリー
これは一体どんな意味を持ってしまうのか?
というかそういう話は007でやればいいじゃんていうね
ここにアメリカ人がいまだソ連との対立関係を無意識的に意識しているとか、そういうナショナリズムの類を引き合いに論じることは可能かもしれないけど僕自身の知識不足なのでそれはやめときます
今回僕が言いたいのはそこじゃない
注目すべきは冒頭シークエンスでイーサンの仲間が路上でトレンチコートを着た暗殺者の女に殺されるシーン
これがあまりにも「スティング」でロバートレッドフォードが暗殺者に狙われるシーンに似ている!!
というのも彼も路上でトレンチコートを着た暗殺者の女に殺されそうになるからだ(幸いにも彼は助けられる)
これらの3点は決して偶然ではないはずで、それが私をモヤモヤさせた
これがまず一点・・・
次に今回のストーリー全体の構成で気になったこと
今まで同作ミッションインポッシブルは計画通りにストーリーが進められてきた
言い変えるとまずイーサンに試練が与えられ、計画を作り、それを実行する、そこで少し失敗はするけど、なんとか平和を手にする
この傾向は言えることだと思う(実際3とかよく覚えてないけど)
今回違ったのは最初から計画通りにいかないこと
最初のミッション失敗もそうだけど、彼らの計画(観客が望む結果)が必ずしも成功しない
主人公は最初の任務で核戦争を誘導する国際テロリストの汚名を着せられ、その後も汚名返上しようとするが、彼らの計画は全く昨日しない。それどころかどんどん状況が悪くなる。
彼らの思い通りにならないこと、そこにこの映画のオリジナリティとがあったと思う
そして映画内で頻繁に出てきた言葉に「シナリオ」と「プレイ」がある
女性が「シナリオは何?」や「ストーリーを考えて!」と幾度かイーサンに問うシーンがあった
映画は誰しもがご存じのように「シナリオ」を「プレイ」することで成り立つ
この映画は主人公たちが「シナリオ」をどうにか考えて「プレイ」しようとする形式自体が映画という性質を自己言及することになっていた
その場で役者たちがシナリオを考える、「即興演出」はヌーヴェルヴァーグから来ている。ゴダールが「勝手にしやがれ!」を即興演出で撮ったことは有名だと思う。そしてこれは分業作業で決められたことをするハリウッドのスタジオ体制とは異なる。
まあつまり言いたいことは「即興演出」していくストーリー展開
ここでもう一度「スティング」の話に戻りたい
ご存じのとおり「スティング」は最初から最後まですべて計画通りにストーリーが進んでいく
観客はラストでロバートレッドフォードが撃たれて「ああっ!」て叫ぶけど、それはご安心を実はすべて計画通りさ!っていう愉快なテンポでストーリーが進む
この点で今回のミッションインポッシブルとは決定的に違う
この点が冒頭のシーンであらわれていたのかなあとか思ったけども、実は考えすぎかもしれないし、考えなさすぎかもしれない
どちらにせよ「こうだっ!」って言いいたい感情まかせに結論を急ぐべきでもないし、こんなところで終わります
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