2013年2月22日金曜日

海猿 Brave Hearts

2012年の日本映画産業は復興の影響もあり前年を超える成績を残しました。

1位:海猿 Brave Hearts 73億
2位:踊る大捜査線 The Final 59億
3位テルマエロマエ 59億
4位:ミッションインポッシブルゴーストプロトコル 54億
5位:エヴァンゲリオン新劇場版

海猿が特に頑張った印象かな。踊るは伸び悩んだと言われてます。

まあオリジナルがないね、基本はテレビ映画かシリーズもの


海猿を見ました
正直彼らの言ってることはクソきれいごとだし、いやらしいほど臭い愛とか友情をちんたらちんたら演出している
それを単純にカスとけなすこともできるけど、それは他の人がツイートですればいい

ポイントは「この映画が売れたこと」だ
80億越えこそいかなかったが、シリーズ4作目で70越えはスゴイことでしょ

個人的な好き嫌いはともあれ、どうして売れたのか?


海猿のヒット要因はおそらく3つある
①震災からの復興
②家族
③映像

①震災からの復興
今回の事件は「飛行機墜落」。飛行機が落下する時の演出は間接的に震災を暗示していた(ひたすらぐらぐらゆれる!)。
エンジントラブルという天災に近い未知の力が引き起こす災難を、解決していくっていう構図は現在の日本人の精神的心理(復興)と一致するかな
大きく見るとこの映画は飛行機事故を乗り越えることによって主人公の周囲にある①家庭問題②友人の結婚問題③上司との階級問題が解消される

※パニック映画やメロドラマは大衆の無意識の欲求を反映することが多い。
たとえば「ボルケーノ」。当時ロスで人種問題による暴動が起きていた。この映画の中ではロスを襲う「ボルケーノ」から人々を守るために白人と黒人が協力する。(「現代ハリウッド講義」から)

現実にある問題(人種問題・政治問題・震災)を外部の力(ボルケーノ、宇宙人、事件)を使って解決し、間接的に観客の意識を満足させるやり方は海猿にも当てはまるだろう

②家族
震災にも通じることだけど、最近は「家族の絆」というテーマがはやっている。山田洋次のNHKでは家族をテーマに映画が選ばれ、自身の「東京家族」も家族がテーマだった。そして大衆から一定の支持を受けていることも言えるんじゃないかな。
今回の海猿は主人公の間に子供がいて、もはやただのラブストーリーでないところが大きな変化だった
また主人公の住む家庭も団地でリアリティーがあったので感情移入しやすかっただろう

その中で加藤愛の「こんな時代に生まれる子供は将来やっていけるか不安」といった内容のセリフは映画内でも大きく取り扱われていた

正直ぼくは「なんてチープで感情のないセリフなんだ・・・」って絶句したけれど

家族の崩壊っていう社会問題を意識して挿入されたのだろう。結果としてただの飛行機事故に終わらない深み??のある映画になっていたのかな・・・

ラストでは加藤愛が「こんな社会も悪くない」っていう楽観的なセリフがあったけど・・なんて安易な心情だ・・・


③映像
飛行機が海面に着地する様子や、飛行機が海中に沈没していく描写がCGを使ってとてもダイナミックに描かれていた。正直第一作しか見ていないので他がどうかはわからないが、タイタニックみたいな演出は観客の目を誘っただろう

映画ということで、やっぱり最終的にはこの映像の迫力がヒットを後押ししたのかなという印象を受けました。

個人的には・・・・
主人公仙崎と友人の絡みや、家族の描き方、底抜けに明るい描写には違和感を覚えた。またギャグは全く笑えない。
まあ僕の愛するのは大衆だから楽しんでみたけれども

ただこの映画は去年本当によく売れた
この映画にケチをつける人はたくさんいて、たとえばストーリーについてももっと現実的であるべきだとか・・単調だとか・・・

でも僕はこの映画がこれ以上複雑になって最近のバットマンみたいな深い主題を含むべきではないと思う

それはアート系の映画がやればいいのだ。みんなそこまで求めてない
多くの人はキレイな人生が見たいし、賛否両論のない愛や希望を感じたいんじゃないのかな

だからメインストリームの映画は結局単純でいい

まだまだレベルは低いけどね





2013年1月15日火曜日

レミゼラブル


見てきました話題作、めっちゃ良かったです
この映画に関しては基本的に素晴らしいの一言に尽きるので、今回は少し批判的なスタンスで行こうと思います

法・権力に捉われずに人間らしく生きるってどういうことだろうみたいな主題があったと思う

ヒューマニズム映画で、人間が生きていくことの素晴らしさを描いていた

見どころとして、主人公ジャンバルジャンと同じく神を信じるシャベールは法を犯したバルジャンを厳しく追及するが、彼は何度もバルジャンの寛容さに助けられ、絶望し命を断つ

ここにこの映画の一つの面白さが出ていた
ヒューマニズム(人権)は法や権利の持つ合法性を大きく超えるという主題があり、それがキリスト信仰でもって正当化されていた

そこにこの映画の欠陥がある

あまりにもアメリカ保守主義的すぎる

労働者、キリスト万歳
国家、権力は引っ込んでろ
俺達が人権を知っている
俺たちが未来を切り開く!

アメリカ保守のうたい文句が大文字で並べられていた
アメリカでリベラルの人たちはこれをどう見るのか、ワシントンの劇場で見てみたかった

新自由主義、中絶絶対ダメ、銃規制するな、マイケルムーアは消えろ、医療費・税の規制するな
それが本当に良いことか?

法・権力を悉く失墜させたこの映画は必ずしも正当化しえないのではないか?


しかしこの映画本当に良い映画なんです・・・・僕も大好きだしもう一回劇場で見たいです

特にアンハサウェイがI dreamed a dreamを歌うシーン・・・


そしてこのシーン、実は「裁かるるジャンヌ」を意識して撮られてるんじゃないかなー


「裁かるるジャンヌ」はサイレント映画の最傑作と言えるくらい素晴らしい作品です

どちらも心情は似てると思います

どっちが好きって言われたら困るけどやっぱり「裁かるるジャンヌ」かなあ

Mission Impossible Ghost Protcol

やってきました第四作目

実際3部作を超える大作は「果たしてこれは商業主義に基づいた駄作なのでは?」という疑問を抱えたくなるのですが、そこは一度押さえてとりあえず見てみようというのがいつもの成り行きなのです

実際
話ムズいし展開速すぎ感は否めない
そして今なぜロシアで核兵器なのか?という疑問

は映画を観終わった後にもついてきます・・・

「まるでキューバ危機のようだ」という長官の発言通り、冷戦時代に起こっていそうな核兵器をめぐるトラブルが、皮肉にも中立国のスウェーデンの過激派によって引き起こされるというストーリー

これは一体どんな意味を持ってしまうのか?
というかそういう話は007でやればいいじゃんていうね

ここにアメリカ人がいまだソ連との対立関係を無意識的に意識しているとか、そういうナショナリズムの類を引き合いに論じることは可能かもしれないけど僕自身の知識不足なのでそれはやめときます

今回僕が言いたいのはそこじゃない

注目すべきは冒頭シークエンスでイーサンの仲間が路上でトレンチコートを着た暗殺者の女に殺されるシーン

これがあまりにも「スティング」でロバートレッドフォードが暗殺者に狙われるシーンに似ている!!
というのも彼も路上でトレンチコートを着た暗殺者の女に殺されそうになるからだ(幸いにも彼は助けられる)

これらの3点は決して偶然ではないはずで、それが私をモヤモヤさせた

これがまず一点・・・

次に今回のストーリー全体の構成で気になったこと
今まで同作ミッションインポッシブルは計画通りにストーリーが進められてきた

言い変えるとまずイーサンに試練が与えられ、計画を作り、それを実行する、そこで少し失敗はするけど、なんとか平和を手にする

この傾向は言えることだと思う(実際3とかよく覚えてないけど)

今回違ったのは最初から計画通りにいかないこと
最初のミッション失敗もそうだけど、彼らの計画(観客が望む結果)が必ずしも成功しない
主人公は最初の任務で核戦争を誘導する国際テロリストの汚名を着せられ、その後も汚名返上しようとするが、彼らの計画は全く昨日しない。それどころかどんどん状況が悪くなる。

彼らの思い通りにならないこと、そこにこの映画のオリジナリティとがあったと思う

そして映画内で頻繁に出てきた言葉に「シナリオ」と「プレイ」がある
女性が「シナリオは何?」や「ストーリーを考えて!」と幾度かイーサンに問うシーンがあった

映画は誰しもがご存じのように「シナリオ」を「プレイ」することで成り立つ

この映画は主人公たちが「シナリオ」をどうにか考えて「プレイ」しようとする形式自体が映画という性質を自己言及することになっていた

その場で役者たちがシナリオを考える、「即興演出」はヌーヴェルヴァーグから来ている。ゴダールが「勝手にしやがれ!」を即興演出で撮ったことは有名だと思う。そしてこれは分業作業で決められたことをするハリウッドのスタジオ体制とは異なる。

まあつまり言いたいことは「即興演出」していくストーリー展開

ここでもう一度「スティング」の話に戻りたい

ご存じのとおり「スティング」は最初から最後まですべて計画通りにストーリーが進んでいく

観客はラストでロバートレッドフォードが撃たれて「ああっ!」て叫ぶけど、それはご安心を実はすべて計画通りさ!っていう愉快なテンポでストーリーが進む

この点で今回のミッションインポッシブルとは決定的に違う

この点が冒頭のシーンであらわれていたのかなあとか思ったけども、実は考えすぎかもしれないし、考えなさすぎかもしれない

どちらにせよ「こうだっ!」って言いいたい感情まかせに結論を急ぐべきでもないし、こんなところで終わります








2013年1月13日日曜日

ドラゴンタトゥーの女



最初に言っておくと自分の意見はかなり暴論かもしれない

自分はこの映画をフィルムノワール(以下FN)だと考えている

映画開始5分、もうすでに言いようのないFN感が自分の中に渦巻いてました・・・

というのも雨、白と黒の対照、映画開始前から何らかの形で心に問題を抱えている男というのはフィルムノワールの常とう手段だからです。

しかも映画を見ていくと彼はある女の子の事件を紐解いていくことになる。

FNは、ファムファタールという女の存在によって男が人生の不条理なり、社会の闇に引きずり込まれていくという主題を持つことが多いが、この映画にはその要素がつまっている・・・

となるとこの映画は主人公の男性が少女の事件に足を踏み入れることによってファムファタールと出会い、社会の闇に遭遇する物語なのか!!!???


しかしそれは違いました

なぜならラストシーンで男が抱える問題はすべて解決され彼からすればハッピーエンドなのだから・・・


そこで僕は逆に①男がファムファタール(つまり女)であり②女性が主人公の史上初のFN映画であるという隠れた主題を立証したい




まず主人公ミカエルは父権が剥奪されてる
①前妻と離婚し現在は不倫している
②娘からはダメおやじとみなされていて、ろくに反論もできない
③彼は大富豪の悪事を暴こうとしたが、罠にはめられ世間から見放されている

以上3点を踏まえると、ハリウッド古典期の父親像とはかなり乖離したイメージを与えられている
ハリウッド古典期では①強くて②負けない③元気な父だったのに対し彼はあっさり敵に捕まる少し間抜けた存在である

彼は父権性を排除されむしろ女性的に描かれている





一方、ドラゴンタトゥーの女というタイトルからも、この映画の主人公はリスベットである
彼女は①アナーキーで②女性が好き(レズビアンORバイ)で③人間不信で④探偵である

①FNの主人公達が政府や大きな権力に対して反対していることは古くは「マルタの鷹」、「チャイナタウン」、最近では「ブレードランナー」からもあきらかである
②彼らは男性で女性に惹かれて自身の運命を大きく変える
③FNの主人公たちは必ずといってよいほどこの世に不信を抱いている必要がある
④彼らの多くが探偵

このことからリスベットが主人公でミカエルがファムファタールという逆FN的な展開でないかと予想する

つまりリズベットは最初から心に闇を抱えていて、男性に出会うことで社会の闇を知り、事件は解決されるが結局彼女の世界に対する不信は解消されないはずだ

社会に対して強い不信があることは保護観察のおっさんにレイプされるシーン(それを報復する男性的報復)やレズビアンといった彼女の在り方からも推測できる

そうするとこの映画は財閥という社会的な存在が抱える闇を解決するという一般的な流れよりも、リスベットが抱える心の問題の話になる

そして実際財閥の問題が解決した後も映画は続く・・・


元々FNはユダヤ系の移民たちによって切り開かれた40年代のジャンルである。当時ユダヤの心情がどのようなものだったかというと、ナチによってもたらされた残酷な事実を抱えていたということだ。

イタリアではネオリアリズモによって、現実には一切の不条理が解決しえない状況が描かれた一方、ハリウッドではFNの形でもってそれが描かれた


つまりFNでは主人公の抱える社会的な不信は必ずしも解決されないのが主流だと思います。
(「ロジャーラビット」はFNだけどハッピーエンドである例外)

ラストでミカエルに恋をしたリスベットは彼にプレゼントを渡しに行くけれども、そこには女性と楽しそうに歩く彼の姿が・・・・・・・・・・
このことからリスベットの抱える問題は結局解決されずに終わるのです・・彼女の社会に対する不信は回復しません・・・

他にもFN的要素はいくつかこの映画内にあって
①黒と白の映像ハイライト
②車やバイクのライト(ブレードランナー、チャイナタウンでは幾度も出てくる)
③雨(これも大概のFN映画に出てくる)
④タバコ(なんとなく吸ってるイメージ)

これらは一般的にFNの要素として認識されています
また主人公がネコと戯れて餌を買いに行くシーンはそれ自体が「ロンググッバイ」のオマージュであるという指摘が他のブログでされていました

このFNであるという論理に反論するなら
①黒と白はFNではなく人間の闇を隠喩しているだけ、FNでは黒と白ではなく光と影のほうが象徴的であるから黒と白のカラーイメージを安易にFNだと結びつけることが暴論

②FNは代々都会を舞台にしてきた。「サンセット大通り」「マルタの鷹」「ロンググッバイ」「ブレードランナー」「ロジャーラビット」etc・・・・
つまりFNは都会が映しだす光と影、人間の闇を描いてきた。それに対してこの映画のスウェーデンは都市というよりもむしろ逆

これらの証拠不足からこの映画がフェミニズムの視点からフィルムノワールを描いた初の作品とは断言しきれない


まあ僕は自分の意見をこうだってきめつけたいわけでもなく、これは一つの見方じゃないかな
ほんとはどっちでもいいんです、面白ければそれでいいんです

そしてこの映画は面白かった
唯一の欠点は家族と見てしまったということ、レイプのシーンとか最悪だった